2016年4月9日土曜日

2016年桜、物語を作る能力など

曇りがちだった今年の春、お花見は有名なスポットではなく、近所で見ることが多かったです。
雨に濡れた桜もなかなかいいもので。


わーくしょっぷ6用に、人工知能の出てくるSFの短編を書いています。
今回は、「最初にプロットのたたき台を出して、お互いに批評し合った後、第一稿を書く」という方針でやっています。が、が!

12月に提出して、ビールを飲んで叩き合ったプロットと、書けば書くほど、かけ離れてきまして……。
しかも、「どう考えても、短編じゃ終わらん!」という絶望的な状況になっています。
短編をいくつか重ねた長編の第一章、になるかもしれない。

内容は、たぶん「近未来の東京」「ASIの誕生」のお話。(ASIは、アーティフィシャル・スーパーインテリジェンス、人類よりはるかに賢い人工知能のことです)

最近、物語を作る能力や、プロットを作らない人について考えたことを、2016年の桜の写真と一緒に、チラホラ書いてみます。



物語を作る能力について。

昔読んだもののすっかり忘れていた『キャラクター小説の作り方』(大塚英志)をパラパラめくっていたら、テーブルトークRPGので必要な役割にたとえて説明してあり、なるほどなー、と。
(TRPGについて知らない方はググってください)

(1) ゲームデザイナー → 魅力的な世界観を作る
(2) ゲームマスター → 起伏のあるストーリーを作る
(3) プレイヤー → キャラクターになりきって、世界に入り込んで遊ぶ

自分なりにまとめてみましたが、こんな感じでしょうか。
物語を語るには、この三つの要素が必要だ、ということです。
そして、多くの人は、(1)~(3)の中で一つか二つ、弱い部分があるものだ、と。

私にあてはめて考えてみると、まず(2)が弱いというか、慣れてないですね……。
印象的なシーンが浮かんでも、それを適切なイベントを組み合わせて一連の「ストーリー」にするには、また別の能力が要求されるんだなと。

かといって、(1)、(3)に強いかどうかは……?
自分としては、(1)の世界観は、考えているだけで結構楽しかったりしますが。



(丸の内から千鳥ヶ淵へ。春霞)

(3)については、スティーブン・キングの『ランゴリアーズ』という小説を思い出しました。
飛行機に残された老若男女のキャラクターに、くっきりした立体感があって、すごいなぁと思うわけです。
それに、キャラクターが「作者の分身」みたいな感じが全然しないんですよ。

で、キングといえば、この人は、


プロットを作らない人。なんですよねー。

ある時<ニューヨーカー>のインタヴューに答えて、作品を書くのは地中に埋もれた化石を発掘するのと同じだと話すと、聞き手のマーク・シンガーは、信じられない、と眉を寄せた。向こうが信じようと信じまいと構ったことではない。実際、私はそう考えている。作品は以前から存在する世界の知られざる遺物である。作家は手持ちの道具箱から目的にかなった用具を選んで、その遺物をできる限り完全な姿で発掘することに努めなくてはならない。

私の作品は筋立て以前の情況に基づくものが多い。ほとんどの場合、発想はデパートのショウウィンドウや蝋人形館を覗くようなもので、驚くほど単純である。私は人物を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するか成り行きを見る。

はじめに情況ありきである。そこへ、まだ個性も陰翳もない人物が登場する。こうして設定が固まったところから、私は叙述に取りかかる。すでに結末が見えている場合もあるが、私の思惑で人物を行動させたことはただの一度もない。何を考え、どう行動するかはまったく登場人物に任せきりである。

スティーブン・キング『小説作法』

こういう方法で書けるのは天才肌の人が多い印象ですが。
さっきの(1)~(3)が一体になって物語が生まれてくる感じ?

最近、『小説家という職業』(森博嗣)を読んだんですが、この人も完全に後者のタイプだなぁと。よく似ています。

ただ、私もカード(ふせん)でシーンを整理してプロットを構築するやり方がうまくできないので、分かる部分はあります。短い言葉で書き出すとシーンの生々しさがなくなってしまうみたいです。最近、気づきました。



『ハリウッド脚本術』(ニール・D・ヒックス)を読むと、人それぞれのやり方があって、一概には言えないのかなぁ、と思います。

この本は、「事前にかっちりプロットを構成しよう」タイプの本かと思いきや、よーく読むと、「直観を取り入れよう」という部分がかなりあり、パラドックスを感じると同時に納得も。登場人物は属性を寄せ集めて「作る」のではなく、生き生きしたイメージを「発見」するようにする、など。あまりに理詰めに作られた物語はつまらない、ということかもしれません。

プロットを構築する過程を抜粋すると、

どの脚本家も自分なりのやり方で、脚本の概略を創造する。
カード、オシログラムのような図解、録音テープ、共同執筆者とのディスカッションなど。
多くのライターはストーリーの一種予備的な草案を書く。脚本形式であることも、短編のように段落分けした散文であることもある。二百から三百ページになることもある。常に現在形で書くこと。これはライターがページに語りかけるための一方法で、決して脚本それ自体の創造ではない。
カウチ・ライティングの間に、あなたは印象、シーン、会話、登場人物などのメモを作り、必要な全体像を構成し始めている。主人公、敵対者、何を争うか、結末の可能性、などが分かり始める。
そういった要素を、説得力のあるストーリーとなるように配置していく。

自分なりのやり方! そうだよね。
いつの時代も自分の道は自分で見つけなければならないってことですね。

森博嗣先生も、とーっても正直に、

僕がもし、まだ30代で、これから20年以上も小説家として活動しなければならない立場でいたら、こんな本はかかなかったと思う。(中略)したがって、現役の人間が語っているノウハウというのものは、必然的に信用できない。既に通用しなくなった手法が述べられていると考えて良い。古くなって通用しなくなると、ノウハウが売りに出る。ここに書くことも、当然ながら過去の手法である。読んだ人がここから何かを抽出し、自分の手法を強化するために役立ててほしい、というだけである。

と、おっしゃっていた。
まさにこれ。自分で「考えて考えて考え抜くしかない」。

森先生の本は全体的に非常にクールなのですが、ときどき、「これは、この人の心の結構深い部分から出てきてるんじゃないかなぁ」と思う部分があって(「自由」「新しさ」のくだりなど)興味深かったです。一番最後の締めの文に、力づけられました。


(草すべりが楽しそうな急斜面……ってお濠にドボンだけど)

(千鳥ヶ淵に着き、さらに靖国の横をすり抜けて、神田川に出ました。飯田橋ショーのビル↓)



(人が少なくてよかったです。水面キラキラ)



さよなら、桜の季節。(^-^)/



……森先生ならブログなんか書いてないで、書け!というんだろうなぁ(と、本にも書いてあった)

人工知能が音楽や絵画など、芸術作品を作ることについて、書きたいこともあるけど、長くなるので省略。


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