2018年1月9日火曜日

『宝石の国』感想(漫画とアニメ)

↓オープニングでこっちを見るところ、妙に印象に残りました。


昨年中にアップしたかった記事なんですけどね〜。

『宝石の国』アニメ第1期、良かったです! 「冬眠」あたりからだんだん惹き込まれて、原作にもハマっていきました。動きは少しCGっぽいかなと思うこともあったけど髪の質感は素晴らしいし、フォスの声はもうまったくフォスにしか聴こえなくなりました。

原作は、4巻までは以前漫喫で読んだんです。そのときは「続きが出たら、またどこかで読めばいいや」くらいの熱量でした。それがアニメを見終わって、気がついたら8巻まで買い揃えてました。おっかしいなー。だからやっぱりTVの影響力は大きいと思う(笑)ニワカですみません。


というわけで、まず鉱物クラスタなら一度は考えると思うんですが:

「原子が規則正しく並んだ宝石(鉱物)の体がなぜスムーズに動くのか? 可動部はどうなってるの? 風で髪がなびくのは?」

などと、私も最初、頭の隅に〇.一ミリくらいある科学的精神で考えないわけでもなかったんですが、し・か・し、そんなことを気にしていたら、この作品の新しさは楽しめない!! と、ここで、声を大にして言いたぁーい!!(笑)


宝石の「擬人化」でもないんですね。

擬人化なら一種類の鉱物につき一人のキャラクターでいいんだけど、この話では組成が同じでも、二人以上の別々の宝石たちが出てくる。だから一巻で言われているとおり、「無機的な鉱物の体に何かが宿った、はるか未来の謎の生き物」でいいんだと思います。

フォス
「この星は 六度流星が訪れ 六度欠けて 六個の月を生み 痩せ衰え
陸がひとつの浜辺しかなくなったとき すべての生物は 海へ逃げ
月がまだひとつだった頃繁栄した生物のうち 逃げ遅れ海に沈んだ者が
海底に棲まう微小な生物に食われ 無機物に生まれ変わり
長い時をかけ 規則的に配列し結晶となり 再び浜辺に打ち上げられた それが我々である」(第1巻)

冒頭でフォスが暗唱するこの国の成り立ち。
それと「インクルージョン」という言葉は、作品中で独自の設定があります。最初少し戸惑いました。宝石たちが割れてもくっつけば再生できるのは、この微小生物のおかげなんですね。

ルチル
「私たちの中には私たちを創ったとされる微小生物が内包物(インクルージョン)として閉じ込められており、現在は光を食べ、私たちを動かしてくれています。彼らは私たちが砕け散っても、ある程度集まりさえすれば傷口をつなぎ、生き返らせるのです。…たとえ粉となり土に紛れ海に沈もうとも、仮死にすぎない。他の生物にはないすばらしい特性です。しかしこの性質のために、私たちは何事も諦められないのですけれど…」(第1巻)

この「インクルージョン=微小生物」もわりと謎です。フォスたちを生かしてくれているけど、フォスの思うようには動かなかったり、ちょっと人間の「無意識」みたいなところがある。フォスも「僕の思わせぶりなインクルージョンめ」と若干距離を置いた言葉遣いをしてますし。




第一話は、書店で立ち読み用の小冊子になっているので、まだ原作を読んだことがない方は見ていただくと、「原作の、この小さいコマに、あの動きが!」と、アニメの丁寧なお仕事を再確認できると思います。
同時に、原作はいかに「絵」的な美意識を大事にして描いているのかも。
ただ、キャラクターの顔が安定するのは2巻以降かな(と思う)。一話目のカラー見開きからパパラチアや他の宝石たちもしっかり出てます。わーい。





ここから先、アニメを見た方には、ネタバレありません。






突然語り出す
『宝石の国』の個人的魅力・その1〜3




1:性別がない自由さ、本質的に「中性」ということ

宝石だから当然ですが、基本、登場人物に性別がないです。そりゃそうだ。絵としては上半身が少年、下半身が少女のように描かれています。人称代名詞は「彼」だけど、中身は中性です。

金剛先生は少なくとも外見は男性、ウェントリコスス王は女性なので、完全に性別がない世界ではないんだけど、人間の社会にあるような「ジェンダー」は無くなっている。ジェンダーは、物語上のはるか昔、「祖となる動物」人間社会の残り香みたいなものです。

これ、ちょっと一瞬、まじめに想像してみてもらいたいんですが。

自分の体が、鉱物のように原子が規則正しく並んでいるだけで、本質的に男性でも女性でもない、ってどんな感じがしますか?

なかなか新鮮、というか、自由な感じがしませんか? この物語に入り込んでいると、ときどきこの「どちらの性でもない」ことの、軽やかな感じを味わえるんです。

言い方を変えると、人間の社会では、それぞれの性別に山ほどのレッテル、色眼鏡、バイアス、ステレオタイプがくっついてますよね。
男女について描かれた小説やエッセイ本やTVドラマなどを、誰もが見たことあるわけです。そして、その男女に対するイメージなりステレオタイプを、知らず知らずのうちに自分に取り入れて、生きている。

それは「祖となる動物」人間の社会で生きているかぎり避けられないことだし、もちろん悪いことじゃない、そうやって現実を分かりやすく切り取るのが、脚本家や小説家やエッセイストのお仕事なんだし、実際、面白いし。
と、思うんですが、ただ、何て言うのか、あまりに昔の観念は、重いコートをいつまでも着込んでいるようなものじゃないか、という気が最近しきりにして。いま、時代がどんどん前に進んでいるときに、自分に合わない、他人の物の考え方や、ステレオタイプはさっさと脱ぎ捨てて、身軽に自由になりたい。……

と、最近考えたこともあって、この作品を通して「性別のない」の自由さを想像してみるのは、私としては価値がありました。




うーん、普通のファンの感想とだいぶ違ってきた気がするけど、まあいいか、続けよう。





2:心置きなく「美」にひたれる。


自分のことを百パーセント「美しい」と言える人っていないですよね。どんな美人でも、ほんのちょっとくらいは「ここが、ああだったらいいのに」と思うことがあるでしょ? それに、生き物は年を取りますしね。

でも、『宝石の国』の登場人物たちは、全員が宝石。上記の「性別がない」と同じで、自分が常に、劣化することのない「美しさ」と共にあるって、ってどういう感じなんだろう、と思うわけです。
一体、どういう感じなんですかね?(笑)
これこそ、想像力でのみ到達できる境地、物語を味わう醍醐味じゃないですか?

実際は、自分の毒に悩んでいるシンシャや、ボルツより割れやすいことにコンプレックスを抱いているダイヤなど、宝石たちにも悩み事はあるわけですが(月人もやってくるし)、そこはまぁ、それとして。でも、辰砂は水銀の大事な鉱石なのにね。今後、物語上でそういう展開になったりは……しないか。(笑)

よく考えると、人体大のフォスフォフィライトって、ものすごく貴重ですよね!

普段の生活で、「美」について考えることはあまりないと思うんですが、『宝石の国』の世界にただよう、純粋な美しさと共にある、という感覚は新鮮です。

やっぱりこれは、女性に受ける作品なんだろうなと思います。あっ、これもジェンダーの偏見ですね(男性も、もっと「美」を感じるといいと思う。ここで言う「美」はコスメとかファッションという意味じゃないですよ。芸術や自然の美など、もっと抽象度の高い「美」ってことで)




3:変化が怖くなくなる。

個人的に「欠損」にはあまり興味がなくて、フォスがどんどん欠けていくのを、最初は(ああっ、貴重なフォスフォフィライトが〜〜〜! もったいない〜〜!)と見ていました。でも、変わっても変わってもやっぱりフォスなんだ、と途中から思えるようになって、その変化自体に、むしろ勇気づけられるように。お気楽インクルージョン、何て素晴らしいんだ。

自分ごとですが、2017年は(も)、頭の中にある古いゴミを次々捨てていく感覚があり、それは今も続いているけど、三ヶ月前の自分も別人と思うくらいでした。たぶん今の時代、他の人たちも多くそうなんじゃないかと思っています。

話は飛びますが、2017年秋に『シン・ゴジラ』の地上波初放映がありましたよね。そのときも、違和感を感じたことがあって。たとえば、矢口のセリフ「戦後は続くよ、どこまでも」。これはアメリカに従属し続ける戦後日本を自虐したダジャレなんですが、2016年の夏に聞いたときはスッと入ってきたし、「ま、そうだよね」と思ったんです。

でも、でもですね、去年テレビでリアタイで見ていたとき、ふと「いや、そんなにどこまでも戦後が続くかな?」と、心の奥深いところでリアルに疑問を感じたんです。それは2017年に、政治や社会の上層部の劣化をかなり感じるところがあって、それで、戦後の、今の社会システムがそんなに続くだろうか、と。まあ、無理だな、と。『シン・ゴジラ』は、そういうものをビームで焼き尽して再生する映画ではありますが、それでも、何というか……やっぱり、2016年秋にトランプ大統領が誕生する以前に作られた映画だな、という気が、強くするんです。でも、もちろんそれでいいんですよ。名作であることには変わりありませんけど。ただ時代の変化は速い。


えー、というわけで、こうした変化の時代に、主人公としてフツーありえないほど変わっていくフォスのキャラクターは、なかなか合っているのではないかと。めっちゃ強引なこじつけ! ですが、真面目に12月ごろ、しみじみとそう思ったの。

ただ、アンタークが連れ去られた後、アニメでも原作でも屈指のシリアス回(3巻)に、フォスが「ここから漏れる合金だけ、なぜだか制御できないんです」と涙を流す画面も、すごく好きです。うん、うん……怖いよね。フォスのお気楽インクルージョンはやっぱりえらいよ。

フォス「冬から春に変わるのをみるのははじめてです。
生き物はこんな速さで変わっていくんですね。
怖いな……」
金剛先生「おまえもだよ」
フォス「それは……そうです……怖い」
(第3巻)



この先、原作の感想に続きます。何か、ボルツについてひたすら語ってますが未読の方はネタバレになるので引き返してね。

8巻まで読んでみて思ったのは、本格的に面白くなるのは、フォスが月人の謎解きを始める5、6巻くらいからかなと。世界観SF(なぜこの世界はこうなっているのか、という大きな謎が存在する)話でもあるので。前半の巻はキャラクターの描写と、カタツムリや犬は、ある意味、伏線。アニメの一期目は5巻くらいで終わってしまったので、ぜひ二期目をやって欲しいです! よろしくお願いします。
















ウェントリコスス王
「わしらの伝説では、この星にはかつて にんげん という動物がいたという。この星が五度欠けたときまでは、しぶとく陸に生き残ったが、六度目にはついに海に入り、魂と肉と骨、この三つに分かれたという」
「かっこいい言い方をするとそうなるだけで、実際は徐々に三種に変化して生き残ったっていうニュアンスで頼む」
「わが種族アドミラビリスはそのうちの肉だと伝えられている。生殖と死を細やかに繰り返しながら、知を重ね紡ぐ特性を受け継いだとされる。一方、骨は、他の生物と契約し、長い時を渡る術を身につけ陸に戻った」
「魂はついに清らかな新天地を得、再興のため肉と骨を取り戻すべくさまよっていると言われている。やつらにそっくりだ」
「月にいた時感じたのは、月人は天敵がいるわけでもないのに争いを好み、満足することがない。なんとなくだが、あの理由なき焦り様は、にんげんがそういう生き物だったのかもしれぬ」
(第2巻)

金剛先生が「馬鹿者ーー!!」と怒っているの、2巻までですね。フォスが強くなったのと反比例して、内省的(?)になられてます。物憂げといってもいいです。これからどうなっちゃうんでしょう?

ジェードとユークの優等生二人組も好きなんですが、二人が戦うのって1巻のカタツムリが最初で最後かな?

シンシャは、「楽しいは? 楽しいが抜けてる」で顔を赤らめたとき、意外な感じがしましたが、後で1巻を読み返したら最初から顔を赤らめるキャラでした。そっかー。



パパラチアが出てくるのはこの5巻だけなんだけど、連載開始したときから重要なキャラクターと決まっていたんだなと。一話目のカラー見開きはフォスが先生の袖の陰に隠れているので、時間的には少し前なんでしょうね。次はいつ目覚めるのでしょう。楽しみ。

個人的には、8巻まで読んで、ボルツが不憫に思えてきました。フォスとの関係で。
不憫というと誤解があるけど、フォスとボルツの場面を最初から見ていくと、ボルツの「変わらなさ」が愛おしくなるんです。

1巻では「おいクズ! 僕が呼んでるんだ、返事くらいしろ!」と、どこまでも上から目線。クズはひどいw フォスの足が速くなっても、アメシストの危機に走ることができなかったときは「何をしていた」とブチ切れてました。ボルツは戦闘マニアだけど、仲間のことを大事に思ってるんですね(そのわりには、一巻でフォスに「悩みごと粉にしてやる」とすごんでたけど、あれも愛情表現なのかナ♪)

アンターク亡き後、フォスが本格的にハードボイルド化すると、ボルツも一目置くようになって、やっと対等な関係になります。戦い方を指南するときも、乱暴な物言いはなくなり、戦力になる仲間、という感じです。6巻でみんなで戦ったときは「ボルツ、来てくれたのか……」「おまえが呼んだんだろ」。

そして、色々あって、フォスが月に行く時。
7巻の最後、月人の幕に包まれながらフォスが最後に目にする地上の光景の一つに、ボルツが必死の形相で走っている一コマがありますよね。フォスは自分の意思で月に行こうとしているのに、ボルツはそれを知らないで、つらそうな顔をしてる。そのコマを見たとき、ついにフォスに追い越されてしまった(何に、と言われてもよく分からないけど、何となく)ボルツが不憫になってしまって。

その後、8巻でフォスが地上に帰ってきたときも、「ボルツ! 後ろの! フォスっぽい!」と言われて「わかってる!」と、一生懸命フォスを取り返そうとして髪をつかまれ、フォスとボルツ一瞬目を合わせるシーンなど、結構ちゃんと描かれてるんです。この黒い子の、無口だけど、よけいなことで悩まず、疑問を持たず、合理的で、一途なところが、愛おしいなぁと。そんなことを思う方、私の他にもいませんか? いるよね!

そういえばボルツはくらげが好きなはずだけど、もっとくらげと一緒のシーンも見たいな〜。あとボルツの原石ってちゃんと見たことがないんだけど、どういうもの? あまり高くなかったら小さいの欲しいかも?(ルースじゃなくて原石がいいな)

ダイヤはかわいこちゃん代表だけど、1巻から「でもたまに、ほんの一瞬、ボルツさえいなければ、なんてね。思っちゃうの。とても愛してるのに」などと、怖いことを言い出すところが、8巻の「ボルツのいない場所に、行きたいの」に繋がっていると思う。「遠くにいるボルツは…」で吹っ切れたのかと思ったんだけど。可愛いし優しいんだけど、いちばん業が深そうなキャラでもあります。ボルツのほうが竹を割ったような単純な性格。体の組成とは逆に。



ラピスが夢に出てくるシーンも好きです。インクルージョン(微小生物)、やっぱり不思議だなぁ。起きたとき周囲がくっきりハッキリ見えるというのは、何となくそういうことあるよね、と。眠っている間に何かを整理している感覚は、自分でもたまにあります。

アドミラビリス族も、ぼよんぼよんしていて大好きです。ポスポピ様には笑いました。月に行くというのは今後の伏線だよね。やっぱり、7、8巻が、ストーリーとして俄然面白くなってきた感じ。



月人が話したことは、まだどこまで本当なのか分からないというか、隠していることはないの?と思っています(だから、まだ引用しないでおく)。でも先生が「祈りの機械」であることは本人も肯定しているし、確定なんだろうな。人間合成工場はまた出てくるのか? 続きが楽しみです。

今回、机にフォスのカケラと単行本を置いて感想を書きました。カケラはあまり関係なかったけど。
それと、アニメの公式サイトを初めてじっくり見て、グッズなんてあったんだー!と気づきました(遅すぎる)。しくしく。ハンカチかスマホケース欲しかった。二期目があるときぜひ再販していただきたいです。ぺこり。それでは、ひとまず、おしまーい。


フォス拡大版(笑)

アニメのオープニング、歌も良かったし、普通OPってあまり見なくなるんだけど、毎回じっと凝視してました。EDとコンセプトアートも良かった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理者が確認した後に公開されます。
(このブログや投稿にそぐわないと思った場合は公開しておりません)