「わーくしょっぷ4」打ち上げの話

先週末は、『わーくしょっぷ4』の打ち上げ。
昼間からクラフトビールを飲んで、例によって数時間ぶっ通しでしゃべって、楽しかった!

お店はお酒担当、山田さんのチョイス! ありがとうございました!

というわけで、頂いた自作への批評をメモしておきます。あくまで自分用です。

さっそく。
一番、「だよねー」と思ったのは、「主人公が女子高生なのに、精神年齢アラサーみたい」というご指摘でした。(年齢からいくとアラフォーなんだけど)

「アラサーみたい」は、別の言い方をすると、「一人称という書き方に書き手がはまっていない」ということかと思います。

今回、わーくしょっぷシリーズで初めて「一人称」にしたのですが、まず、なぜ「私」や「わたし」ではなく「あたし」にしたのかと聞かれました。わりと真面目な女の子なので、「あたし」が合っていない気がすると。あと、文章中に「あたしの」などが多すぎると(確かに!)

ただし、上記は本質的な問題ではなく。

一人称というのは、その人物だけのものの見方、世界を見ているときの固有の「ゆがみ」があるものなのに、そういう「ゆがみ」があまりない気がする、「視野が広い」。これ、指摘されて確かにそうだなーと思いました。

それこそ、「童のときは……」の「童」。
自分を振り返ってみても、高校生の頃は、今よりずっと視野が狭かった。
色んなことをくよくよ気にしていたし、自己中心的だったし(今もそうだろうけど、もっと)。

一人称では、本当は、そういう高校生になりきって書かなきゃいけないんだと思うけど、それがやはり難しい。

というより、私は昔の自分に戻りたいなんて思ったことがないんだった。学生時代にもそれほどの郷愁はないし。もし今の意識を持って戻れたらやりたいことはあるけど、そうでなければ戻りたくないなー。

基本的には今の自分が一番いいと思ってる、視野だって前より広がったし、色々なことが分かってきて生きるのが楽。十年前はもっと不安や焦りがあった。自分のことも今よりも好きじゃなかった。齢をとるっていいものだと思う。

と、身もフタもないことを書いてしまったけど、そこらへんをまげて、高校生なら高校生になりきらなければならないんだから、一人称は(三人称でも、物語は全部そうだけど)難しいものだと。

登場人物にもっとコミットメントしなきゃいけないんですね(言うはやすし!)

今回、全員分を小冊子印刷してみましたー♪
「ここの表現がどうだった」と言い合うとき、
紙があると検索性がいいかもと思いまして(完全な自己満足ですが)
あと、笹原さんが一人ずつ書評を書いて印刷してきてくれました!感謝

それから、「気分が悪くなる」「頭が爆発しそう」などは、こうして書かないで、わーっと描写して、読者に「実際に」気分が悪くなるように感じてもらう、というのが正しい方法で、「そう思っていない読者はこういう文章を読むとしらける」という、もっともな指摘もありました。
また、全体に視覚情報の描写が多いのでは、とも。(五感の情報が少ない)

こういうこと、全~部、小説講座でも言われていたのに、進歩がないですよね……。

それから、公園で泣く理由がよく分からなかったという意見もありました。これは私の中ではリアリティ(?)があるんですけど、上手く伝えられなかったなーと思いました。
友だちがいて、気になる男子もいて、運動部に所属していて、両親もいて家もあって、まあ、リア充ですよね。でも、それでも、「孤独」というのはあると思うんですが、なかなか表現できませんでした。でも、学校が好きな普通の子が主人公でよかった、という意見もあって、嬉しかったです。

いつもこの打ち上げのおしゃべりが楽しみで、続けているようなものです。

表紙についての記事を、結局、書かなかったのですが、ま、書くほどでもないか、ということで、最後にちょっとだけつけ加えます。

実は、12月の段階では、この記事で上げた桜と丘のラフが浮かんでいたんですが、1月に入って書き始めたとき、自分の短編の1シーンだったことが分かり、ボツ。急遽また女の子の上半身を描きました。

仲間内でも、「これは誰かに手を振っているのか、それともガラスに触れているだけか?」と聞かれ、いやーすいません……どちらでもよいですっ!

ちなみに、筆塗りで一度提出した後、アニメ塗り(?)に変更したので、晴海さん、お手数おかけしました。


次回のテーマとタイトルも決めたので(前日、頭に降ってきた!)、楽しみです。

コメント

人気の投稿