2018年3月25日日曜日

意味を取る力。一を聞いて十を知る。『AI vs 教科書が読めない子どもたち』感想

AI恐るるにたらず。それでも、AIは多くの仕事を代替する。東大合格をあきらめた「東ロボくん」は、MARCHレベルの大学に合格する実力がある。 AIが苦手とする読解力は、人間の子どもたちも驚くほど苦手。これからAIと仕事を取り合うことになるのに、大丈夫? 人間にしかできない能力とは。

教科書が読めない子どもたち:AIに仕事を取られる前にすべきこと(ヤフーニュース)
この記事を読んで、なかなか衝撃を受けたので、本書も読みました。



ちなみに著者は印税を受け取らず、中学一年生に無償でRST(読解力検査)を受けてもらうために使うそうです。確かに、子どもたち全員受けるようにしたほうがいいのでは、と思わせる内容でした。それよりも先に、企業の人事部が使い始めるかもしれませんが……。

小さなお子さんのいる方におすすめ。子どもたちはこれから何十年も、進化するAI技術と共存して働くことになるので、何を恐れ、何を恐れるべきでないか、考える足がかりになるかと。

感想として、読解力はどうやったらつくんだろう? 的外れなことを書いているかもしれませんが、自分なりに考えてみました。こちら

以下は、読んでいない方のために一応まとめっぽく書きましたが、適当で、色々漏れているので、上のインタビュー記事を読んで興味をがあれば、ぜひ本書を当たってください。







前半は、「東ロボくん」の研究成果と、その挫折。
現在のAI技術でできることと、できないこと。

「真の意味のAI(人間の知能と同等レベルの知能)」と、Siriやルンバに搭載されている「AI技術」が混同されている。そのため「AIが人類を滅ぼす」などという言説が出てくる、という言葉に、なるほど、と。

「真の意味のAI」は、現在のディープラーニングなどの技術の延長線上ではできない。これは「論理、確率、統計」しか表現できず、人間の精神活動をすべて数式に置き換えることができない数学自体の限界である、と。シンギュラリティは来ない。
ビッグデータ幻想のくだりとか、面白いのですが、省略。
フレーム問題って古くて新しい問題なんですね。

じつは、「東ロボくん」は東大に合格すると思って始まったプロジェクトではない。
「AIは東大には合格しないだろう。しかし、センター試験の穴埋めだけで入れる大学もある。AIで何がどこまでできるかを明らかにすることで、AIと共存するこれからの社会にどのように備えていくか、考える材料を提供しよう」が、プロジェクトの趣旨だった。

2016年に「東ロボくん」は東大合格を断念する。しかし、そうした「失敗」の情報こそ価値があると著者はいう。たとえば、英語の問題でディープラーニングは既存の手法より出来が悪かった。どんなに投資してもディープラーニングが上手くいかない場合とは何かを、企業が身銭を切って学ぶ前に教えることができる。ありがとう、「東ロボくん」!

とはいえ、偏差値57.1に成長した「東ロボくん」。
MARCHや関関同立を含む多数の大学の学部で、合格可能性80%の判定をもらい、ガッツポーズ。

しかし、研究者たちは思った。それでは、AI以下の成績しか取れない子どもたちは?
「東ロボくん」は文章の「意味」を理解しない。では、人間の子どもたちは文章の「意味」を本当に理解しているのか?

全国2万5000人の基礎的読解力調査で、驚きの結果が明らかになった。問題を引用していいのかどうか分からないので、上記のインタビュー記事の二ページ目、中ほどをご覧ください。

「アレキサンドラ愛称問題」の正答率は、中学生で38%、高校生で65%。

難解な小説などではなく、教科書から取られた問題文の読解に、サイコロを振って答えるような確率でしか正解できない子どもたちが相当数いる。これはほとんど、教科書が「読めていない」のと同じ。
「問題が悪いのでは」「生徒が真面目に回答しなかったからでは」などの反論については、本書をお読みください。

どうやら、文章中の「キーワード」にだけ目を通し、意味的にしっかり把握しないまま、適当に推測して答える子どもたちが結構いるらしい。まさに「読んでいるつもり」、「分かったつもり」。そして、少し複雑な文章になると、よく分からなくなってしまうそう。
読解能力値と、進学できる高校の偏差値の相関は高い。

教科書くらいの文章が理解できないということは、将来仕事で新しいことを覚えたり、職種を変えたりするときに、かなりの困難が予想される。ただでさえ、これからAI技術が発展して仕事が代替されていくのに。
AI技術の発展によって新しく生まれる仕事も当然ある。しかし、AIの限界と同じ「キーワード読み」「意味を理解しない」「一を聞いて十を知る、ができない」人材が、そのような新しく生まれる職種に対応できるのか。
AIと同じやり方をしていては、AIには到底太刀打ちできない。
「アクティブ・ラーニング」「プログラミング教育」は、平易な文章すら正しく理解できない層には、絵に描いた餅。
ベーシックインカムは、仮に導入されるとしても、タイムラグがあるはず。

というような、著者の心配が後半に書かれています。

なお、読解力は、塾に通っているかどうか、スマートフォンの利用や学習時間の自己申告、読書の好き嫌いとは、関係がない(!)そうです。ただ、家庭の経済状況とは負の相関があるのは、気がかり。貧しい家庭の子どもほど読解力が低くなる傾向があると。

後半は、調査が追いついていないこともあって、やや主観的な言及もありますが、とにかく、RSTの普及や調査を継続してもらいたいと切に思いました。人を育てることは、国家百年の計です……。








ここからは、本の内容ではなく、自分の思ったことを書いています。すでに読まれた方向け。


読解力テストの結果は衝撃ですが、一方でやっぱりそうか、という感じも。
Twitterの有名人のつぶやきにつくコメントなどで(最近は見ていないけど)、「え……ちゃんと内容を読んでるのかな」ということはあります。あれは、やっぱり読めていなかったのか。
ただし誰でも、急いでいるとき、興味のない文章を流し読みするときは、「キーワード読み」になると思います。自分も気をつけよう、と思いました。脊髄反射しないようにしなくちゃ。


読解力はどうやったらつくのか?

読書が好きで、本をよく読むと答えた子どもの読解能力値が、必ずしも高いわけではないといいますが、本といっても「キーワード読み」でほとんど誤読なく、十分楽しめる本もあるので、そうなのかもしれません。

ふと思い出したのは、『イシューより始めよ』で、イシューとは関係ないところで語られていた話です。
<話をしていて、あれ、本当に伝わってるのかな? と、心もとなく思う人がときどきいる>というような記述があったと思うのですが、手元にないので、うろ覚えですみません。「話が深く伝わった感じがしない」、これは人と人との相性もあるので一概には言えないですが、「読解力」「意味を取る力」と関係があるのかな……と、思ってしまいました。

『イシューより始めよ』では、現実の一次情報を得る力、深く感じる力、ということも書いてあります。私たちはいつもたくさんの二次情報に囲まれています。ニュースや新聞記事は記者が一次情報(場合によってはすでに二次情報のことも)を彼らの頭の中で咀嚼して書いたものだし、小説、漫画、ゲーム、アニメなどのコンテンツも、複雑な現実という一次情報を、それぞれのやり方で圧縮して差し出しているので、二次情報です。
ただ、それらを生み出す人、クリエイティブな仕事をしようとする人は、やはり、なるべく一次情報を得るように、現実を深く感じるようにしていかなければならない、という話だったと思います。

それで、もう一つ思い出したのは、この記事。
高層マンション育ちの子供が「伸びない」理由(日経ビジネスオンライン)

タワーマンションの子どもは親の経済状況がいいので、わりと頭のいい子が多いのですが、ずば抜けた子は少ない、と、大勢の子どもを見てきて、そういう実感があるようです。どうやら、高層階で外に出るのがおっくうになると、五感への刺激が少なくなって、それが、のちに「はっきり理解する」という感覚や、学習意欲に影響を及ぼすとか。

「この小さい頃の身体感覚というのが、物事をはっきり理解するという感覚や、学習へのモチベーション、行動力にも深く結びついてくるんです」

この、身体感覚というのは、確かに理解力の基礎としてありうるかもしれないと、個人的に思いました。うまく言えないのですが、私も「アミラーゼ問題」(能力上位層をよく識別する問題)のような文章の意味を取ろうとするときは、頭(というか目)だけでサラッと読んでいるわけではないと感じるのです。
難しい本を読むとき、私たちは「気合を入れて読む」のですが、このときの「気合」には、自分のこれまでの経験(当然、身体感覚も含む)を総動員して読んでいる、という感覚がある。
ファッション雑誌のように、ちゃんと読まなくてもいいもの(記事にもよりますが)は、テレビをつけながらでも、キーワードを拾ってページを進めることができます。まあ、私は、活字を読むときテレビがついているのは嫌なほうですが。

ただ、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』では、大人になっても、いくつになっても、読解力は伸ばすことができる、という著者の身近な例からの実感が述べられていて、それを信じたい気持ちです。

もう一つ。上記のインタビュー記事で、

読解力テストができる子は、「答えは問題に書いてあるし、簡単過ぎて何のテストか分からない」、全然点数が取れない子は、「いつもと違う問題だから分からなかった、時間が全然足りなかった」、中間層は、「ひっかけ問題。考えすぎて間違えた」

と、言うらしいのですが、これ、個人的には分かる!! 気がする。
「アレキサンドラ愛称問題」はもちろん、「アミラーゼ問題」も大丈夫だけど(数学基本調査はだめ)、私も昔、資格試験の勉強で「ひっかけ問題だ」と思ったことがあるのです。

それは、宅建の問題集をやってみたときのこと。
宅建というのは、法律系の資格の中でもっとも簡単な(といっても難しい)資格のひとつです。

その問題を解き始めたとき、「これひっかけ問題じゃないの」と思ったんですよね。「日常的な意味ではこれとこれは同じ意味でしょ」とか、つい思ってしまうんですw  ちゃんと勉強すればそんなことないんだろうけど。

結局、宅建はあまりモチベーションがなかったこともあり断念。このときは、ついでに受けてみるかという気持ちだったんですよ(負け惜しみ)。
同時期に受けた簿記の場合は、一級や税理士試験になると難しくなるのかもしれませんが、簿記二級くらいだと正確に数字を操作するだけ、答えが曖昧なんじゃないかと感じたことは一度もなかったです。

法律系の資格で求められるような、文章の論理性というのは、結構難しいものだな、とそのとき思いました。だから、読解能力が低い場合に「ひっかけだ」と感じる気持ちは正直分かるw

とはいえ、教科書くらいは全員が読めるようになってもらいたい、社会的にも。

「一を聞いて十を知る」、推論の力も、最初に意味を取ってからでしょう。「エベレストは世界で一番高い山である」という文章が与えられて、他の山がエベレストより高いか、低いか答えられない、ということは、「世界で一番高い山」という言葉の意味が、本当には分かっていないということですよね。

母語でそのくらいの理解力だと、仕事を教えるほうも、「どうして説明しても分かってくれないんだろう?」「ちょっとは自分で考えて、同じような例から判断してくれればいいのに。全~部、教えてあげなきゃいけないの?」となる。後者はまさにAI。

思うに、そのくらいの文章が正確に理解できないと、かなりぼんやりとした世界に住んでいるのではないか、という気もしてきました。私が宅建の世界を、とてもぼんやりとしか把握できなかったように。ちなみに、簿記二級くらいだと、ある程度やると全体像が見えて「ここまで、できるようになると受かるな」と、かなりクリアに分かるものです。普通の筆記試験は大体そうだと思う。理解すると、クリアになる。

新聞や新書も読めないから世の中のことがよく分からないし(良質な新書は、700円くらいでその人の専門分野の話が分かり、大変コスパがいい)、まあ、それくらいは、百歩譲っていいとしても(本を読んだって、世の中が分かるわけではないし)、地元の市役所の申込書のようなものさえ、少し難しくなるとぼんやりとしか理解できない世界というのは。

AIは「意味」に対して盲目ですが、人間は? 自分は大丈夫だろうか? と、思ったことでした。つらつら書いてきましたが、とりとめがなくなってきたので終わりにします。ありがとうございました。

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