2016年1月15日金曜日

話のつじつま、神話、スタW

スター・ウォーズをやっと見ました。新作(123)、旧作(456)の六本。最新作はまだなんだけど。

誰かに旧作のほうが面白いとは言われてたんですが、順番に見ていったところ、旧作に入ったとたん隣の夫からのツッコミが激減したので、
「ほんとに映画が面白いと思ったときは、観客は話のつじつまなんて気にしない」
という、ジブリの鈴木敏夫さんの言葉を思い出しました。 ※

(以下の写真は2010年のマトマタ。チュニジア、またいつか行きたい!)

※「本当にすごい映画を見たときは、観客はストーリーなんて気にしない。ストーリーのつじつまが合っていないことにケチをつける人がいるけど、問題なのはつじつまが合っていないことではなく、映画が面白くなかったこと。だからこそ、つじつまが合わないことが気になる」(『コンテンツの秘密』 川上 量生)


(マトマタ周辺)

確かに「話がご都合主義すぎる」と、映画や小説を批判すること、あります。
でも、それは、自分にとって面白くなかったから、目につくだけなんだと。納得w

スターウォーズも、新作は、感情移入できる登場人物があまりいなくて。R2-D2以外。

最後の3になって、ようやくオビ=ワンに、「ああ、そうか、この人がこの三部作の、善の側の主人公だったんだ」ということが分かり、少しだけ入り込めるようになりましたが。

それまでは、あの男の子、フォースの天才だか何だか知らないけど、人間的にはかなり未熟なタイプだなー、思い込みが激しくて自信過剰で、ストーカーになりそうな男という感じしかしない、と思いながら見ていました。女に別れを切り出されたら「おれから離れるくらいならお前を殺す」みたいな、そんなことをガーッと言い出しそうな男。
え? ひどすぎる?
いや、私だって、旧作を見て同情はわきましたよ。
愛情が強すぎて、深すぎて、ダークサイドに行ってしまったんですよね。確かに、気の毒だけど。
でも、同じ境遇で行かない人間も大勢いるよね…ってそれじゃ旧作が生まれないか。

(ロケが行われたというホテル。結構こじんまり)

だから、新作では細かいところが気になって×2
たとえば、カーレースのところで、最初、マシンが故障して、ものすごい距離を引き離されたのに、あっという間に追いつくのはなぜ? それくらいスピードに差があるなら、ぶっちぎりで抜き去ってゴールインするはずなのに? あるいは、ライトセーバーの戦闘シーン、二人がかりで互角だったのに、一対一になって、どうしてそんなに長時間持ちこたえられるの?

他にも沢山どうでもいいことを気にしてました(ごめん)

考えてみれば、旧作もそれなりに映画っぽく「事が上手く運ぶ」場面はあるんだけど、ほとんど気にならなかった。

旧作のほうが、登場人物たちに苦労をさせていたからかもしれないです。たとえば「脱出したい」というとき、もちろん最後は上手くいくんだけど、途中で二回か三回失敗したり、仲間が犠牲になったりしますよね。それに比べると新作は、主人公が最初から天才で、戦闘もゲーム感覚なんだもの。

(泊まるのはすごく勇気がいりそうでした!)

話のつじつまといえば、最近、再読した河合隼雄『とりかえばや、男と女』に書かれていたこと。



ストーリーには、近代小説もあれば、昔話、神話もある。

近代小説は、ある「個人」が何を考え、何を感じたかを語っている。また、現実に起こりそうなことを書かなければならないので、話のつじつまということが重視される。(ファンタジーというジャンルはあるが)

一方で、神話や昔話は、個々の人間の思考や感情について書くというよりは、多くの人間に共通の無意識のはたらきを語るものである。

たとえば、英雄の物話なら、「あなたが何かを成し遂げようとして、冒険に出たとき、そこで出あうものはなにか、誰に導かれ、誰と対決しなければならないか。」というようなことを、比喩的に語っているのが、神話。
河合隼雄先生の言葉でいう「たましい」の真実を物語ることに重きを置いているので、外的現実、つまり、話のつじつまのようなものは少しおろそかになってくる、と。



(屋根、というか、盛り土の上から見たところ)

ジョージ・ルーカスは、神話学者のジョーゼフ・キャンベルの研究成果にヒントを得て、スター・ウォーズシリーズを制作したそうです。

とすると、あの話は、ルーク個人(or 他の登場人物)の話であると同時に、「冒険と成長の、神話的な物語」を表現しようとしている……だから、話のつじつまには、もともとそれほどこだわらなくてもいいのかも!?

(マトマタの同じようなお家も見せていただきました。よく見ると、右の台に猫がいますね)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

「……神話はなんのために生まれ、私たちに何を語ろうというのか? ジョン・レノン暗殺からスター・ウォーズまでを例に、現代人の精神の奥底に潜む神話の影響を明らかにし、綿々たる精神の旅の果てに私たちがどのように生きるべきか、という問いにも答えていく。……」(文庫カバー裏より)

この原著は1988年に出ているので、新作1、『ファントム・メナス』以前。
だから、ダース・ベイダーについて話し合っている部分など、個人的には「そうかな?」という部分もあるにはありますが(でも、旧作と新作のダースベイダーって、帝国内での地位がずいぶん違いますよね。旧作では、確かに恐れられてはいるけど、あくまで高級官僚という感じ。トップツーというほどではないような。どうしてああなっちゃったんでしょう?)

対話はジョージ・ルーカスの「スカイウォーカー・ランチ」と、ニューヨークのアメリカ自然史博物館で行われたそうです。

対話形式であることもあり、『千の顔を持つ英雄』『神の仮面』より、読みやすいと思います。もちろん話されている内容は深いので、一度読んで理解できるわけではないけれど。


(猫、あちこちにいました~)

キャンベル 私自身はトーマス・マンとジェームズ・ジョイス読んでずいぶん教えられました。マンもジョイスも、現代世界で成長する若者のいろんな問題や疑問、認識、関心事などを解釈するときに、基本的な神話のテーマを生かしています。こういうことをよく理解している優れた小説家の作品を読めば、あなたを導いてくれる神話のモチーフが見つかるでしょう。

モイヤーズ とても興味深い興味深い話です。(中略)私たちだと、映画の場合が多いような気がします。映画は英雄神話を作り出せるものでしょうか。例えば<スター・ウォーズ>のような映画は、英雄像に必要な条件のいくぶんかを満たしていますか?

キャンベル 若い人たちがジョージ・ルーカスの用語――<フォース>とか<ダークサイド>とか――を使っているの聞きますね。ということは、きっとそこになにかがあるんでしょう。立派な教えなんだと思いますよ、きっと。(文庫版p.304)

(ヤギの大群)

キャンベル あの映画の中の悪の力は、地球上のどこか特定の国を指すものでもありません。あれは抽象的な力です。特定の歴史的状況ではなく、ある原理を代表する力なんです。だからあれはこの国対あの国じゃなくて、原理と原理がぶつかり合う話です。

<スター・ウォーズ>のなかで人々がかぶっている怪物の仮面は、現代社会における真の怪物的な力を表わすものです。ダース・ベーダーの仮面がはがされたとき、現れたのは未発達な人間、まだ一個の人格となるに至っていない人間でした。(中略)

ダース・ベーダーは自分の人間性を発達させてなかった。彼はロボットだった。自分自身の意志ではなく、押しつけられたシステムに従って生きる官僚だった。(p.305)


(このあと泊まった、砂漠のそばのホテル、でっかい砂漠のバラがあちこち置かれてました)

モイヤーズ <フォース>の定義に興味を覚えました。ベン・ケノービは「フォースは、すべての生あるものによって作り出されたエネルギーの場だ。それはわれわれを取り囲み、われわれを貫き、銀河系を一つにまとめている」と言います。先生のご本、『千の顔を持つ英雄』に、世界の中心や、聖なる場所、万物が創り出されたときそこに存在した力などについて、それとよく似たことが書いてあったと思いますが。

キャンベル そうです。<フォース>は内側から働くものです。しかし、あの「帝国」の力は、征服しよう、支配しようという意図に基づいている。<スター・ウォーズ>は、単純な勧善懲悪劇ではなく、人間の行為を通して実現されたり、破壊されたり、押さえつけられたりする生命の力に関わるドラマです。

モイヤーズ <スター・ウォーズ>を初めて見たとき、「これは最新の衣装まとった、とても古い話だな」と思いました。冒険に旅立つことを命じられた若者の物語。試練や苦難に立ち向かい、勝利を収め、人々のために宝物持って帰る英雄の……(p.308)


チュニジアの旅行記は、ここらへんにあります。今思えば、砂漠のバラは二つで1ディナール(70円くらい)で、安かったです。おそろしく無造作に、乱雑に積まれていたっけなぁ。


ちなみに、キャンベルについても、感想というか、メモをたくさん書いています。
私は結婚はすばらしいものだと思いますよ!
一緒に映画を見て、あれこれ言い合うのも楽しみの一つ。

J・キャンベルその3 結婚について
J・キャンベルその2 無上の喜びについて
J・キャンベルその1 メタファー(隠喩)について



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