尖石縄文考古館で国宝土偶を見た


横浜ショーのあった三連休は、長野県へ。

途中、念願の茅野市尖石縄文考古館に寄ることができました。
以前、土偶「仮面の女神」が国宝になった記念の、でっかーーい垂れ幕(コレ)を茅野駅で見てから、気になっていたんです。


茅野駅からバスも出ています。

ビーナちゃんと仮面の女神



ここの何がすごいって、国宝の土偶が二体もあることです。
来月、上野の縄文展で見られると思いますが。
私も、縄文展の前売り券は買ってあって、あとは行くだけ。

縄文のビーナス、初めて実物を見たけど、結構大きかった(高さ27センチ)。
これが地面から出てきたら、びっくり(&歓喜)しますね。



このお尻。
説明はいらないですね。


帽子? 髪型?
それにしても、このセンスの良さ、一体誰が作ったんでしょう。

集落の中央にある広場から、完成形で出土。
どういう状況で埋納されたのか気になります。


時代は縄文時代中期。約5000年前。

気候が温暖になり、人口も増えた、縄文時代の大繁栄期です。
狩猟採集のみで暮らしていくことができました。(多少は、栽培の痕跡も)
八ヶ岳の麓は、一大文化センター。
「中期」と言っても、1000年間も続くんですよ。


(文字の入った写真はクリックで拡大します)

通称「仮面の女神」は、2014年に国宝に指定されたばかり。


この完成度の高さ。
存在感あります。

埋納状況を再現した模型。



お墓と思われる穴に、丁寧に副葬されていました。
いったいどういう人物のお墓だったのか? それとも?

時代は、縄文時代後期、約4000年前。

気候が冷涼化し、縄文時代の大繁栄が下り坂に向かう時期です。
集落が小規模化し、呪術性の高い遺物が増えます。
この仮面も、当時の文化では特別な意味があったんでしょう。分からないのが残念です。


似た土偶も出ているそうです。


三角形の仮面もそうだし、たすきがけの模様も、多分何か、シンボル的な意味があるんだろうけど、何なのかなぁ。

一度失われた文化は、些細なこともよく分からなくなってしまいます。
遺物は残るけど、精神はね。生きた人間がいないと残らないから。

文化の本体って何だろう?
と、考え始めると、不思議な気分。
たとえば、今の私たちの文化も、空気のようなもの。
目に見えない精神を、構成する人間たちが実際に生きることで、保持しているんだろうか。
構成メンバーが全員死んでしまうと、その文化の精神は消えるのだろうか。どこへ?


仮面の女神が発見された穴からは、こういう浅鉢も見つかっている。

優美なディテールだと思っていたら、死者の顔にかぶせたものだそうです。
仮面をかぶって、皆でどういう儀式をしていたんだろう

優美な土器



いちばん広い展示室。
土器がたくさん並ぶ中で(どれもすごいんだけど)、一番目を引いたのはこれ!


縄文時代前期。
センスよすぎると思います。

どこから見ても美しい形に、繊細な模様。

似たような土器もあることはありますが、やはり一線超えていない。
縄文の人も、この土器の完成度が分かっていたんでしょう。


出土状況も特別らしいです。

それにしても、一瞬、アートギャラリーみたいと思ってしまいましたよ。

(『ユリイカ』の奈良美智特集で、村上隆さんが初めて奈良作品を買ったとき、壺しか買えず「これ買わすかよぉ~」とぶつぶつ言いながら持ち帰って、さっそく飾ったら「これ何か、いいよ」と思って、くやしくてまたギャラリーに行った、という話を思い出したw)


他の土器も、それはそれは立派でした。
これ、作るのに相当時間かかったんじゃないか?


こんなのもあります。


下手くそな土器。
確かに~。ほほえましい。
誰でも最初から上手く作れるわけじゃないもんね。



ミニチュア土器。
日本人のミニチュア好きはこんな時代から!?

縄文時代



諏訪湖周辺の遺跡。
緑が旧石器時代、赤が縄文時代、青が弥生時代です。

縄文時代に激増しているのがわかります。
弥生時代の稲作には、それほど向いていない土地だったみたいですね。


「縄文」のつけ方。


「編布(あんぎん)」と呼ばれる、植物の糸で編んだ布。
編み方がいろいろあるようです。

ここらへんのパネルで上野の予習、予習。



縄文時代は、約13000年前~約2300年前。

前期、中期、後期だけでも、3000年もあるんですよ。
ちなみに東北の遮光器土偶などは、さらに後、晩期に全盛になります。

翡翠と黒曜石


黒曜石の産地が、霧ケ峰にありました。
冷山(つめたやま)には、露頭があるそうです。



もちろん、糸魚川のヒスイも出土。



千葉県銚子のコハク、数は少ないけど、綺麗な水晶もありました。


尖石遺跡と「とがりいしさま」

博物館を出ると、道路を挟んで尖石遺跡と与助尾根遺跡があり、ぶらぶらできます。


与助尾根遺跡には、竪穴住居がいくつか再現されていました。


同時代の土器が出てきた(=たぶん、同時代に家が建っていた)
場所に再現しているそうです。


家の中はひんやり、そして、ちょっとカビ臭い土の匂い。


道路を渡って、尖石遺跡へ。


階段が見えたので降りてみたら、遺跡の名前の由来になった「とがりいしさま」がありました。


すごく暑くて、手前で帰ってしまうところだったよ。


縄文人が石斧を研いだ共同の砥石、という説もあるようです。


暑いので、ここまで来る人も少なくて、静かでした。
といっても、すぐ近くですが。


ここが階段ですよ。
見逃さないように~!


図録と遺跡のパンフレットを買いました。
どんぐり粉入りビーナちゃんクッキー、楽しみだわ~。

次は上野で、失われた縄文の精神の名残りを感じてくるぞ!



お読みいただきありがとうございました。
おしまいです。

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