2011年3月22日火曜日

『寝ながら学べる構造主義』


アメリカのアフガン空爆が始まったとき、いきなり街頭インタビューされたら、「ジョージ・ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが......アフガンの市民たちの苦しみを思いやることも必要ではないか......」というのは、とりあえず無難な「模範解答」。(『寝ながら学べる構造主義』p.24)

確かに私も、自然とそう考えていた。「いろんな視点があって、それぞれ意見が違うのは当然だよね。あっちから見たらああ見え、こっちから見たらこう見えるんだよね。真実って難しいし、ひとつじゃないよね」と、なんとなく思っていた。

しかし、こんな考え方が「常識」になったのは、ごく最近のことらしい。

世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたのは四十年ほど前、1960年代のことです。(同p.25)

今は、「ポスト構造主義の時代」と呼ばれている。構造主義の後の時代、構造主義に取って代わる支配的なイデオロギーがまだ存在しない時代のこと。



あるイデオロギーが支配的である、ということは、その用語や概念を使ってみんながものを話すということ。そのイデオロギー自身の批判をするときでさえ、その用語や概念を使ってしかできない、ということ。

マルクス主義が支配的なイデオロギーだった時代もそうだった。しかし、あるとき「もう、その(マルクス主義っぽい)ことばづかいで話すの、やめません?」ということが、なんとなく集団的な了解に達して、マルクス主義は支配的なイデオロギーであることをやめた(p.20)。

構造主義特有の用語は、「システム、差異、記号、効果……」など。
いずれは、構造主義的なことばづかいで話すことにも、「みんなが飽きる」ときがやってくると著者は言う。

構造主義とは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なことで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。

むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆれ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。(同p.25)

ところで、私が、「すごーい、構造主義って、こういう今となっては当たり前のことを言ってたんだー。全然知らなかったー」と旦那に報告したら、(は? 何を言ってるんだ?)という顔で、「普通は、大学に入ったとき周りがみんな知ってるので、焦って本を読むものじゃないか?」と言われた。悪かったねー!




さてこの後、構造主義前史として、思想的「地ならし」をした人たち、(ヘーゲル、)マルクス、フロイト、ニーチェの紹介。続いて、構造主義の始祖として、ソシュール登場(「名前を持たないものは存在しない」、シニフィアンとシニフィエ)

それから、構造主義「四銃士」、フーコー(系譜学的思考)、バルト(記号学、エクリチュール、テクスト、俳句好き)、レヴィ=ストロース(文化人類学者、サルトルの実存主義に死亡宣告、音韻論、贈与のシステム、親族制度の分析、「人間とは何か」という根本的な問い)、ラカン(鏡像段階、エディプス)の紹介。内田先生、レヴィ=ストロースが好きなので、力が入ってる。

読み終われば、あとがきのこの言葉もうっすら意味が分かります。

そういう年回りなってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。

レヴィ=ストロースは「みんな仲良くしようね」と言っており、
バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、
ラカンは「大人になれよ」と言っており、
フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

年を取るのも捨てたものではありません。(同p.199-p.200)

写真は、一体何が構造主義的な写真なのかよく分からなかったので、2006年の南アフリカ旅行のもの。

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