村上春樹ロングインタビューより

文庫を再読中のジョーゼフ・キャンベル『神話の力』について書こうと思います。その前に、村上春樹のインタビューから少々引用。

これは、『考える人』 2010年夏号の記事で、丸三日箱根に缶詰めになって行われた、村上春樹のロングインタビュー。創作技法や物語観などについても触れている貴重なもの。


村上: フレイザーは昔読んだきり、じつはあまり覚えていないんだけれど、『生きるよすがとしての神話』のジョーゼフ・キャンベルなんかはよく読みました。小説を書く役に立つ立たないではなく、ただただおもしろいから読んできたんですが。

おもしろいというか、僕の場合、そういう本に書かれていることは、直接手にすることのできる、英語で言えばタンジブル(tangible)なマテリアルなんです。文化人類学ではそれを、一種のシンボルとかメタファーとかアナロジーとしてとらえるわけですよね。ところが小説家にとっては、シンボルでもメタファーでもアナロジーでもなく、実際に起こることなんです。物語にそれを放り込めば、現実として本当に起こる。それがどのような結果を導くか、その導かれた結果も現実のものなんです。それを見届けるのが小説家の役目なわけ。(中略)

僕が小説家をやっていていちばんおもしろいと思うのは、自分でそういうのができること。アナロジー、シンボル、メタファー、そんなものをどんどん穴に投げ込んで、現実のものにしてしまうことなんです。

村上春樹作品というのは、理性的に考えると「わけのわからない」話が多くて、それでもあれだけ売れるのは一体なぜなのかと、アンチ村上春樹派は考えているのではないかと(笑)。

個人的には、あの「わけがわからないけど“深い”感じ」は、やはりある種の「夢」に似ていると思う。

自我のレベルではなく、夢や無意識、人類に共通する神話のレベルに入り込んで物語を生み出しているので、大勢の人が「理性で考えるとよく分からないけど、面白い」「自分の根っこにかかわる何かが、この物語にある」と“感じる”のではないかと。村上春樹本人も、「“自我”の物語には興味がない」と言っています。

もちろん卓抜した文章力と構成力があるからこそ、“深い”無意識から汲み上げてきても、誰もが楽しめる、面白い物語になるのでしょうが。だからといって、彼の作品には「文章力と構成力しかない」と言いきってしまうのは誤りだと思う。

まあ、このロングインタビューを読むと、村上春樹本人は自分がどのようにして物語を書いているのか、よーく分かっているようなので、誰に何と言われようと気にしないでしょうけど。

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