アルプス水晶母岩つき、そして70年目


Quartz on Matrix
Cavradi-Schlucht, Graubunden, Switzerland, 2013/07

クオリティの高い結晶と、母岩とのバランスのよさ。
小さいけど、Alpine Quartz!! という感じで、お気に入りの標本です。

5cm弱? Miniature と Small Cabinet の間くらい?

しばらく箱に埋もれていましたが、この年の夏のためにアップします。
ばかでっかいグラデーション・ペーパーを広げてみました。



お盆休みもとっくに終わってしまったのですが。

十年前は何にも考えなかったのに、今年は感慨深い夏でした!
長く短い七十年ですね。

せっかく公開されていたので、「玉音放送」を、宮内庁HPから聴いてみました。コチラ

きれいな音声でした。
ただ、言葉がフツーに難しすぎて、耳だけでは理解できないので、口語訳を読みました。
平和への思いを感じました……。

七十年前、これを聞いて、当時の人々はどんなふうに感じたのかなと。
パラダイム・シフトというか。
これまで信じてきたことが、ガラガラ音を立てて崩れたわけですよね。

ある時代を生きている間は、その時代の真の姿は分からないのだろう、と思います。
江戸時代の人は江戸時代を、戦前の人は戦前の時代のことを、客観的には評価できなかったと思う。
以前書いた記事→「人となりては童のことを捨てたり(『攻殻』)について

だから、今もそうなんだろうと。

次に、時代が変わったときふり返れば、今という時代がもっとよく分かるだろう、そのときには今は明らかにされていない資料も表に出るだろうし。
個人的には、戦後の日本はアメリカとの関係に触れずには語れないと思うけど……。

一つ前くらいの時代だと、まだ感情的なしこりが残っているので、客観的な評価が難しいかもしれない。

二つ前くらいの時代になると、完全に学問的に扱うことができる、今、江戸時代のだれそれの失政を客観的に分析しても、自分が傷ついたような気持ちになる人はいないだろうから。いつかはそうなる。

高い山の頂に立つと、ちょっと違った意識になることありませんか?
(これは2006年の立山)

今から、五十年後、七十年後、百年後の世界は、今の私たちには想像のつかないものになっているはずです。論理的に考えて、そうとしか思えない。

「想像がつかない」とは、どういうことかというと、もしかすると五十年後の人々は、今ほど「国」にこだわっていないかもしれませんよ?
(日本の人口減少とグローバル化が進んで、若いうちから外国の友人や同僚と親しくつきあうことになったら、と想像してみてください)

たとえば、それくらい。
いや、もっと。もっと。

人はどうしても、今存在する技術、現時点での人類の精神的な成熟度で、未来を語ってしまうけど。
人間の意識だって変わらないようで、変わっていく。
「原爆投下正しかった」米国人46% 若年層は「間違い」が多数 70年経て変化する意識


本当に、七十年後はどんな世の中になっていることやら。
平和はもちろんですが、人間としての成熟が重んじられる世界を、未来の世代に残したいものです。

他者に対する寛容、誠実さ、おだやかさ、思いやり……。
どちらかを選ばなければならないときは、そういう性質をより多く持つほうを、選んでいきたい。

(まあ、あとは、地球環境について本気で考えなければならない時代になるでしょうが)






この、裾のように手前に付いている母岩の形も好きなんです(割らないようにしよう。ドキドキ)


長生きして、いい未来をこの目で見たいです!


おしまい♪
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